軍師官兵衛は黒田官兵衛(黒田 孝高(くろだ よしたか))の生涯を描くドラマであるが
その先祖を紐といてみたい。
黒田官兵衛の曽祖父(ひいじいちゃん)にあたる黒田 高政(くろだ たかまさ)は元々は近江に住んでいたらしい。近江源氏の流れを組むという説もあるが実際のことはわからない。当時の武将たちは先祖をでっち上げることがあったのでそのたぐいの可能性がある。
先祖を絵にすると以下になります。
曽祖父 黒田 高政(くろだ たかまさ)
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祖父 黒田 重隆(くろだ しげたか) 竜雷太が演じます
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父 黒田 職隆(くろだ もとたか) 柴田恭兵が演じます
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黒田官兵衛(黒田 孝高(くろだ よしたか)) 岡田准一が演じます
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息子 黒田 長政 松坂桃李が演じます
官兵衛の曽祖父黒田 高政(くろだ たかまさ)、永正8年(1511年)の船岡山合戦に六角方として参戦したが、六角高頼の命に背いて抜け駆けしたことから将軍足利義稙の怒りを買って追放され、親族を頼って備前国邑久郡福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に流れてきたとされる。
後に子孫の黒田長政が筑前52万3,000石を与えられたとき、博多の地に城を作り、福岡と称したが福岡の名は先祖ゆかりの備前国邑久郡福岡からとったと言われている。
そのころの備前福岡は山陽地方随一の商業都市として繁栄していたそうである。
官兵衛の祖父黒田重隆(くろだ しげたか)は若い頃は備前福岡(現在の岡山県長船町)に在住していた。
その後、姫路の広峯神社の神官と目薬を売ることで財を成し、播磨の国人になったという。はじめ竜野城主赤松政秀に仕えたが、ほどなく御着城主小寺政職(こでら まさもと、軍師官兵衛では片岡鶴太郎が演じています)に主を替え、重用され、姫路城の城代となったそうです。
官兵衛の父黒田 職隆(くろだ もとたか)は御着城主の小寺政職(こでら まさもと、軍師官兵衛では片岡鶴太郎が演じています)に仕え、天文12年(1543年)には政職の敵であった香山重道を討ち取った。
それらの功績から天文14年(1545年)、政職の養女を娶って家老に列せられると共に、小寺の姓氏を与えられ、播磨の姫路城の城代になった。
職隆は百間長屋を建てて貧しい者や下級武士、職人、行商人などを住まわせるなどして、配下に組み入れたり情報収集の場所としていたそうである。
永禄7年(1564年)には、浦上政宗の息子浦上清宗と自分の娘の婚姻を実現させるが、その宴席中に赤松政秀の奇襲で浦上親子共々娘を殺害され、職隆は政秀と対立した。
(軍師官兵衛では官兵衛の初恋の女性おたつ(南沢奈央)が黒田 職隆(くろだ もとたか)の養子になって浦上清宗に嫁いでいますね)
永禄10年(1567年)頃、息子の孝高(官兵衛・如水)に家督を譲り姫路城の南東に位置する国府山城(こうやまじょう)に隠居した。
黒田官兵衛の先祖の様子については司馬遼太郎が黒田官兵衛を描いた小説「播磨灘物語」でも丁寧に描かれています。
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