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徳富蘆花 山本久栄 八重の桜 


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八重の桜の第46話は徳富蘆花と山本久栄の恋愛(駆け落ち)の話である。

八重の桜では徳富蘆花は太賀が演じている。

徳富蘆花は正確にいうと徳冨蘆花である。「富」ではなく「冨」の字だ。
兄は徳富蘇峰と「富」の字を使っている。
本名は「富」の字だ。


徳富蘆花(徳富蘆花)

本名:徳富健次郎。

横井小楠門下の俊英であった父・徳富一敬の次男として肥後国に生まれる。

熊本バンドの1人として同志社英学校に学びキリスト教の影響を受け、トルストイに傾倒する。

兄で思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰(徳富威一郎)の下での下積みの後、自然詩人として出発し、小説『不如帰(ホトトギス)』はベストセラーになった。

また、随筆『自然と人生』はその文章が賞賛され、一気に人気作家となった。

しかし、国家主義的傾向を強める兄とは次第に不仲となり、1903年(明治36年)に蘇峰への「告別の辞」を発表し、絶縁状態となる。

1927年(昭和2年)、病に倒れる。

伊香保温泉で蘇峰と再会して和解、「後のことは頼む」と遺言して死去したという。58歳だった。


黒い目と茶色の目の内容




同志社英学校時代の自分の山本久栄との恋愛を描いた作品が「黒い目と茶色の目」だ。

「黒い目と茶色の目」には徳富蘆花 山本久栄との恋愛の話だけでなく、 山本久栄の母時栄と父覚馬の離婚の話も出てくる。


徳富蘆花の「黒い眼と茶色の目」は蘆花の同志社英学校時代の失恋体験を、蘆花が40歳を超えて当時のことを振り返り、自伝風に書いた小説である。
登場人物は、名前を少し変えているが、すべて実在した人たちである。

 主人公は得能敬二(蘆花のこと)である。敬二は12歳のとき、飯島先生(新島襄のこと)が創立した協志社(同志社のこと)で勉学したが、すぐに、郷里の熊本に帰った。

 協志社を創立する上で、全面的にバックアップしたのが山下勝馬(山本覚馬のこと)であり、山下の妹が飯島先生の夫人(新島八重のこと)である。

 熊本の実家で、兄(蘇峰のこと)が結婚すると、家に居づらくなり、伊予にいる従兄の又雄(横井小楠に嫁いだ蘆花の母の妹の長男)の家に世話になることになった。

又雄の妻はお稲(山本覚馬の長女で新島八重の姪)である。

又雄は協志社出身で、飯島先生からの信頼は篤かった。

 物語は、又雄一家が伊予から京都に移ったときから始まる。

敬二も一緒に京都に行き、協志社に再入学することになる。

 京都の又雄の家には、お稲の妹の寿代(ひさよ)がよく訪ねてきた。

寿代は15歳で、協志社女学校に通っていた。

敬二は又雄の家を出て、協志社の寮に入った。

 敬二は幾度となく寿代と会ううちに、寿代に惹かれていった。

お稲が産後、急逝したのち、敬二と寿代の仲は急速に深くなった。

いつしか、二人は将来を約束する恋人同士になっていった。

 お稲と寿代は腹違いの姉妹であった。

寿代は山下の後妻の子で、その後妻は若い男と不倫をして子を身ごもり、山下家から追い出された。

そのとき、後妻を家から追い出す急先鋒だったのが、義理の妹の飯島先生の夫人(新島八重のこと)であった。

 母親がそのような女であったためか、寿代にはどこか男好きのするようなところがあった。

敬二は寿代に関しての艶聞に悩むが、敬二は断固として寿代と結婚しようとした。

 ところが、敬二と寿代の関係が又雄に知れるや、又雄は猛反対した。

又雄だけでなく、兄そして飯島先生も反対した。

 敬二は悶々として、学校も休みがちになり、おまけに方々から借金をして、いよいよ学費を払うことも生活することもできなくなった。

敬二は寿代と別れ、京都から逃げた。

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